桜の下で行う花見の価値
33歳、夢なし、趣味なし、希望なし。
さて、昨日(厳密には今日の深夜午前)書けなかった花見について書かせていただきたい。
少し前にも花見について書かせていただいたが、先週花見に行ってまた感じた事があるので今日はそのあたりを。
夜になると寒いのは毎年の事なのでわかっている。
わかってはいるけれども何とかなると思ってしまう。
僕が寒いの嫌いじゃないのと、楽観的な性格が組み合わさってそのような結論になるのだけれども。
先日行って感じたが、今年はまた一段と寒い。
気温だけみると冬じゃないか。
結果、16時に花見する現地に到着し、寒すぎて17時半には撤収した。
僕にとっては問題ない寒さだったが、先輩のお子さん(2歳)がいたので「これ以上は無理だろ」という判断になり、早期撤収となったのだ。
鶴舞公園という名古屋屈指の花見の名所だった事もあり、16時スタートではいい場所、すなわち桜の下なんて座れるはずがない。
そう、少し桜の木から離れた場所に陣取ったのだ。
僕はよくこういった会話を耳にする。(今回一緒に花見に行った先輩も言っていた)
「花見なんて飲みに行く口実だよね」
「桜なんてあんま見てないよね」
この会話が本当だとすると桜の木から離れた場所で花見をしても問題ないはず。
確かにそうかなとも思っていた。
しかし、現実は違った。
よく考えると毎年僕は、
「やっぱり桜の下でお酒を飲むと気分がいいね」
と言っている覚えがある。
そう、当たり前の話だが花見というのは桜の下で行わないと全開で楽しめない。
そうでない人もたくさんいらっしゃると思うが僕は楽しめなかった。
毎年当たり前のように行っていた事に対し、今年はそうじゃない体験をして痛感させられた。
春の風物詩とも言える桜。
咲く期間は短いだけに咲いている間は余計に貴重になる。
さあ、日本が誇れる季節の花を見ながら春を感じようではないか。
そう言えば花見中に少し雨が降って虹が出たな。
虹の下に桜がないのが少し惜しいが悪くなかった。