ドラマ「わたし、定時で帰ります。」第7話を観て
34歳、夢なし、趣味なし、希望なし。
今日は火曜日。
という事で先週に引き続きこのドラマの感想を。
毎回1時間の間にいくつかの問題が上がるこのドラマ。
メインの問題があり、次の回に繋がる問題、このドラマを通しての問題。
今回個人的に気になったのは、「社会的ポジション」と「働き方に家庭が絡む」部分に焦点を当てた話だった。
結衣(吉高由里子)の両親が夫婦喧嘩をして母が家出をする。
父は家に何がどこにあるかわからない、掃除、片付けもできない、料理もできない。
仕事ばかりで定年退職をした父は、社会的関係が切れると何もできない。
ケチをつける訳ではないが、料理に関しては出来合いの物を買えばいいのでそこはお金で解決できる。
掃除や片付けが出来ないというのは少し理解に苦しむ。
原作も漫画であるし、その辺は置いておくとして。
いや、僕の父親も掃除は下手で母親が少し家を開けると部屋がグチャグチャになっていたな・・・。
少し前の大人、いや、今の大人でもたくさんいると思われる、社会的関係が途切れると途端に何も出来なくなる。
ここでの意味と少し違うが、社会的人間関係が途切れると途端に周りに人がなくなる。
僕はそういった人間にはなりたくないので基本社会的な人間関係をあまり好きではない。
とは言え僕には特別な能力もなく、特技もないのでそんなこと偉そうに言うのも少し、いや、かなりおかしいがそこは置いておくとして。
あ、問題点をすぐ置いておくのは悪い癖だがこれからも多用されると思うので大目に見ていただけると助かる。
この「社会的関係」に関してはまたの機会に書かせていただきたい。
話は戻り、結衣の父が家事の大変さを身をもって痛感することになる。
仕事をしてお金を稼ぐ事はもちろん大切だが、それだけでは家庭は壊れてしまう。家庭を持ってなく、持つ予定のない僕が言うのもこれまたおかしいが、その辺りのお金とバランスが大切なのではないか。会社もそのバランスを考えてほしいと思うが、頭の固い、特に自分が家庭をもっていない上司なんてわからない人が多いのが悲しい現状かと思う。
なんでも経験しないとわからない事が多いはずだ。
このドラマのテーマである、日本特有の「長い時間働く人は会社に貢献している」というのはもう古い。
結衣の父も言っていたが、確かに昔は転職もそう簡単に出来ずに、「同じ会社で働く事が美徳、我慢するしかない」のような精神があったとは思うし、そういう社会だったかもしれない。
しかし、今は違う。
転職なんて珍しくなく、我慢して続けるのだけがカッコイイという時代ではない。
やはり時代は変わっていくので、その変化に対応していけるような人間、会社になっていかないといけないのではないか。
現に僕の友人も仕事が忙しすぎて家を空ける事が多く、それが一つの原因となり、離婚している。
このドラマを観た、部下も持つ上司、零細企業の社長は周りの人間の労働環境に対する考え方を見直していただきたい。
・・・。
あれ、以前書いた内容と少し被っているような気がしてきた。
結局「過去の働き方」と「今の働き方」の比較になっているではないか。
結局そうなるということは、僕の頭が単細胞なのと(いや、シンプルと言わせていただこう)、それだけ強く思っているということでご勘弁いただきたい。
しかも、いつも以上にとっ散らかった文になってしまった。
我ながらつまらない。
このままじゃまた来週似たような事を書いてしまいそうだ・・・。