権利は欲しいが義務は不要?
34歳、夢なし、趣味なし、希望なし。
日曜日。
休日。
昨日、一昨日の連夜のアルコール摂取で体が悲鳴を上げている。
良くも悪くも今日は丸一日予定がなかった。
現在夕方。
今日何をしていたのか?
答えはシンプル。
何もしていない。
本当にボーッとしていた。
何もする予定がなく、体が弱体化している時は余計な事を考えるものだ。
タイトルをご覧の通り、今日はただの自分勝手な発想について書かせていただく。
多くの事柄が自分に権利があるうちはこちらに選択権があり、楽しい事が多い。
例えば彼女。
付き合う前は遊ぶ予定を断ってもいいし、無理に予定を合わせる必要もない。
自分の予定や気分で時間を組める傾向にある。
ただの自分勝手な発想。
それが彼女となると会う回数は増え、暗黙の了解で優先させなければいけない雰囲気になる。
これだと「会う」という権利が義務になってしまい、自分の自由が効きにくくなる。
しかしながら彼氏、彼女というのは口約束みたいなものなので、完全な義務ではない気もする。
厳密に言うと権利と義務の間に差しあたるものだろうか。
それでも交際している相手を優先させるのは世間の一般的な風潮だろう。
ちなみに僕はこの会う事が義務化していると感じてしまうと、別れを告げてしまう性分にあるようで、過去に何度かその経験がある。
こんなカス野郎と付き合っていただいているだけでもありがたいのにおかしな話だ。
ただの自分勝手な発想。
そして、その彼氏彼女の関係から法律上契約を結ぶ段階に入る。
そう、結婚。
こうなると法律で取り決められ、完全に義務化される。
僕は未経験で、おそらくこの先経験もできないが、人生の折り返し地点もきていないのに世の人達は結婚を決めることに対して本当にすごいと思う。
「イヤだったら別れたらいい」
そういった考え方もあると思うが、離婚するのは結婚するのよりも何倍も大変らしいじゃないか。
リスキーだ。
リスクが高すぎる。
そもそも離婚を前提で結婚する夫婦なんて詐欺師でもない限りほとんどいない話だろうが。
子供もそう。
友達の子供や兄弟の子供、孫はかわいいものだ。
育てる義務がないからだ。
もちろん自分が育てた子供が成長していくのは嬉しいし、楽しいのもあるとは思う。
親は子に無償の愛を捧げてしまうという話をよく聞くものだ。
それでも子供を育てるのは途中でやめることもできないし、自立するまでサポートしなければならない。
僕は特別自分の子供が欲しいという気持ちはないが、おそらく子供自体は好きなのだ。
そして血が繋がっているかいないかの有無よりも、自分の事をどれだけ認識してくれているかで見方が変わってくるのではないかと思う。
「いや、血の繋がりは重要だよ」
という人の考えももちろんありだし、これに関しては賛否両論があるとは思う。
映画「そして父になる」はその内容が盛り込まれていて、リアルで感情移入してしまう、僕にとっては良い作品だった覚えがある。
そういった諸々の事が関わってくるので、子育ての義務に関してはどういった気持ちが働くかはわからない。
この先もわからない。
この「権利と義務」は他の事柄にも当てはまる。
例えば仕事。
決まった時間に出社し、与えられた仕事を行う。
サリーマンパターンでこれだと義務。
自分で決めた事を好きな時間に始める。
自営業パターンでこれだと権利。
いや、権利とも少し違う気がするが・・・
そこは目をつむって流していただきたい。
僅かだが例をあげさせていただいて思ったが、自分以外の他者が多く関わってくると義務化する事が多いような気がする。
人と関わるというのは楽しくもあるが、また壁も立ちはだかる。
やはり相手の事をどれだけ想えるという話になるのか・・・
このままでは得意の話脱線コースになりそうなので戻させていただく。
以上の考えを聞くと多くの人が、
「何だよ、何も背負いたくないだけじゃん」
とか、
「プレッシャーにただ弱いだけじゃん」
とか思うだろう。
客観的に見て僕もそう思う。
しかしながら弱いと言われようが逃げてると言われようがこの生活を手放したくない。
こじらせてる?
大いに結構。
どうやらとてつもなく義務に追われたくないらしい。
ただの自分勝手な発想。
何かを行う時、組織に属する時、人と関わる時に、権利とするのか義務とするのかは個人の気の持ちようだとも思う。
どうやら僕はこのまま自分が生きるという義務だけで生きていくようだ。