結婚式に出席、考える
34歳、夢なし、趣味なし、希望なし。
基本予定のないはずの僕だが、ここのところあれだこれだと毎週末予定が詰め込まれている。
また言い訳をさせていただくが、土日にブログが書けないのも余裕がないからだ。
もう若くもなく、色んな部分で余裕が欲しいのだが、逆に色んな部分に余裕がないのが時折悲しくもなる。
小さい頃に描いていた自分の34歳像とは遠くかけ離れている。
なんとなく予定を当てはめていくと気が付いた時にはパンパン。
そろそろどこかで小休憩が欲しくなっている自分がいる。
休日何もせずにダラダラ過ごす事の幸せを感じたくなっている。
学生の頃はこんなんじゃなかったのになぁ。
ある程度年齢を重ねたオッさんやおばさんはよく言うだろう。
「そんな事あるか、言い訳だ」
僕も若い頃はそう思っていた。
実際に自分がその年齢になるとどうだ。
「そんな事はある、しんどいもんはしんどい」
やはりなんでも体験してみないとわからないもの。
つくづくそう思わされる。
あれ。
なんか似たような事を過去にも書いた事がある気がする。
まあそれだけ強く思っていると捉えていただけるとありがたい。
そんな全て私用で休日が埋まっているというカッコ悪い34歳だが、先週はおめでたいイベントに参加させていただいた。
「イベント」
このワードが少し失礼な気もするが、語彙力のない僕には他に思いつかない。
そのイベントとは。
結婚式。
なんとおめでたい。
さっきから
「おめでたい」
この言葉を連発しているが、実のところ何がめでたいのかあまりわかっていない。
僕は結婚できないし、したくもないから尚更結婚式の見ず知らずの2人が一緒になる事のおめでたさがわからないのだろう。
しかし、角度を変えるとある意味おめでたかったり感動したりもする。
「お披露目会」
おそらく大きな用途としては自分に近い方々に認めてもらい、お披露目するためだろう。
それはなんとなくわかる気がする。
他にも人生の区切りとして思い返す会でもあると思う。
披露宴でよくある光景として、2人の今までの生い立ちをムービーで振り返る。
自分の周りの人への簡単な自己紹介や、参加者と共に思い出をムービーにして語る。
そして今まで自分へ関わってくれた方々への感謝。
結婚という出来事を区切りに、親はもちろん、祖母や祖父、友人への感謝を述べるといったとこだろうか。
両親への挨拶、締めの新郎の言葉は心が動かされる。
しかし
「嫁にいく」
というフレーズ、これがまたよくわからない。
いや、そりゃ〇〇時代はそういった文化だったのはわかる。
でも今はもう元号は令和。
いつまで昔のよくわからん風習を引きずっているんだ。
時代の移り変わりと一緒にそのよくわからない風習もなくなったもいいのではないかと思う。
それに関連して
「〇〇さんを僕に下さい!」
この決まり文句のような挨拶もよくわからない。
そもそも子供は親の持ち物ではない。
それを「下さい」というのはどうも腑に落ちない。
と、ここまでああだこうだ書かせていただいたが、全部まとめて結婚式は幸せそうだったり感動したりするものなのでまあおめでたい事だろう。
あれ。
やっぱり似たような内容のブログを書いた事がある気が・・・
ここまで書いてしまったので無視して続行させていただく。
とにかく先週結婚式に出席させていただいた。
前の職場の友人。
おめでたい場に参加させていただくのは嬉しいし、招待していただいて本当に光栄。
よく僕のような人間に声をかけてくれた。
本当にありがたい。
4つ5つ下の友人なのでまあアウェーな感じは予想されたが、この際ホームだろうがアウェーだろうがどうでもよかった。
無駄に人を多く呼んでいない結婚式、披露宴だった。
周りへの気遣いだろう、食事もしっかりしたものを出していただき、贅沢な料理をいただいた。
上からいうわけではないが(言える立場な訳がない)、笑いあり、涙ありのホッコリした、とてもいい結婚式に参加させていただいた。
変に二次会をするわけでもなく、披露宴後に数人で集まったリラックスしたプチ二次会(談笑してお酒を飲んだ)を行った。
一緒に働いていた時の事を話したり、2人の馴れ初め、もめた事などを聞いたり、とてもいい時間を過ごさせていただいた。
僕は席に座っているだけで何もしなかったが、なぜか夜にはヘトヘトになっていた。
しかし疲れているのに嫌な感じは全くなく、なぜだか心は晴れていた。
「良い疲れ方」
そんな事ってあるもんだ。
やっぱり友人の結婚式はいいものだ。