norinori53’s diary

日々感じる53(ゴミ)な事

小さい頃の記憶、ポケットモンスターの思い出

34歳、夢なし、趣味なし、希望なし。

 

 

 

 

 

 

来週姪っ子に会う予定があるので何かプレゼントを買おうと思い、先週の土曜日出かけた。

 

行き先はココ。

 

www.pokemon.co.jp

 

人生初のポケモンセンター

 

久しぶりにポケットモンスターに触れたことにより、色々な事を思い出し、色々な事が頭の中を駆け巡った。

 

ポケットモンスターは僕が小学生の頃爆発的人気を博したしたニンテンドーの大ヒット商品。

 

あの頃はまだゲーム機本体はゲームボーイだった。

 

無駄に本体がデカくて重いが、画面は小さく、黄緑色の画面。

 

映像が動くと残像が残り、とてつもなく見にくい。

 

そりゃ目も悪くなる。

 

電池も単三電池4本で稼働し、消耗も早い。

 

不経済で仕方ない。

 

確か僕は流行りだしてすぐには買ってもらえなかった。

 

よって初めて買ってもらった携帯ゲーム機はゲームボーイの進化版、ゲームボーイポケットだった。

 

 

従来のゲームボーイよりボディが大幅に軽量になり、画面サイズも大きく、見やすくなったものだ。

 

かれこれ23、4年前にもなるが、なぜだか覚えている。

 

時期は冬。

 

クリスマスプレゼントという名目で買ってもらった。

 

確か緑を買ってもらった記憶がある。

 

すごく単純な表現だがーーー。

 

嬉しかった。

 

感情まで鮮明に覚えていないが、嬉しすぎて買ってもらって数日でクリアしたような気がする。

 

しかし勝負はクリアしてから。

 

頑張って151匹集め、頑張ってお気に入りのポケモンのレベルを100まで上げた。

 

稼働には単四電池を使用したので、プレイし過ぎで電池をかなり使用した。

 

現在のような充電式バッテリーは主流ではなかったためだ。

 

富士通パナソニックは、当時任天堂ポケットモンスターのおかげで乾電池の売り上げが上がっただろう。

 

ポケモンカードも集めて遊んだ。

 

日曜日に放送されていたポケットモンスターのアニメも見ていた。

 

あのアニメのフラッシュで倒れた子が続出し、ニュースになった事も覚えている。

 

ポケモン言えるかな?」の歌、当時は151匹全部言えたなあ。

 

懐かしい。

 

大好きだったポケットモンスター

 

今思えば何を目的にカードゲームをしていたのか、何を目的にレベル100まで上げるためにプレイしまくったのかは全くわからない。

 

ただポケモンが好きだったのだ。

 

本当に幸せだったんだな。

 

とさえ思ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

それから月日は流れ、ポケモン2こと金と銀が発売された。

 

ゲーム機本体も進化し、ゲームボーイカラーだった。

 

中学生だったのでお小遣いを貯めて買ったのか、発売日に購入した。

 

朝早くから学校の部室に行って友人と寒い中遊んだ。

 

しかし、小学生の頃のような燃え具合はなく、レベル100まで上げる事なく途中で遊ばなくなった。

 

 

ポケモンは全部で250匹だったろうか。

 

半分も集めていなかったのではないか。

 

小学生の頃よりも今現在より近いのにあまり記憶にない。

 

 

 

 

 

 

 

それから更に月日は経過し、社会人。

 

再びポケットモンスターを購入。

 

ダイヤモンド?パール?

 

確かその辺りだったような気がする。

 

新入社員の同期何人かで購入し、遊んだのはなんとなく覚えている。

 

しかし、それ以外の記憶が全くない。

 

ほんの12年程度前の事なのに。

 

ん!?

 

いや、そりゃそうだが新卒からもう10年以上も経過するのか。

 

今それにビックリした。

 

そりゃオッさんになるわ。

 

そりゃ34歳にもなるわ。

 

頭の中や精神年齢はあまり変わっていないのが悲しいところだが、確実に社会的価値やスペックは低下している。

 

 

 

 

 

 

 

 

当たり前の事だが、このことから何点かわかる事がある。

 

・すぐに手に入るモノよりも我慢して(もしくは苦労して)手に入ったモノの方がありがたみがあるという事。記憶にも残りやすい。

 

・初めての体験や経験は楽しい。記憶にも残りやすい。

 

・小さい頃は行動範囲や世界が狭いため、1つの事に没頭できる。

→赤ちゃんが同じ事で何度も笑ってくるのはこの事からだろう。

 

我ながら当たり前の事を書いてしまった。

 

世界が広がるとか様々な経験をするという事はいい事だと思っていたが、果たしてそうなのかともさえ思ってしまう。

 

おそらく、普通に育てられ、普通に成長したはずだが、どこかで人生につまづき、自分の限界が見えてしまったからだろう。

 

出来る人や可能性がある人、人生頑張って生きてきた人には僕ぐらいの年齢になっても新たな挑戦ができているではないか。

 

昨日メジャー行きを発表した西武ライオンズの秋山選手なんて僕と3歳ぐらいしか年齢が変わらない。

 

おそらく今、ワクワクして仕方ないだろうと思うと羨ましくて仕方がない。

 

残念ながら僕には人生かけて必死になった事がないため、同じような気持ちにはなれないが・・・。

 

もう小さい頃のワクワクドキドキした気持ちになれないと思うと、どこか寂しささえ感じる。

 

そう思いながらも往生際の悪い僕は、完全に人生諦めきれていない自分がいるが。

 

何か新しい事を発見しながら、何か新し経験をしながら生きていけるって本当に幸せな事のようだ。