休日取得で集団に属さない事の身軽さを感じる
35歳、夢なし、趣味なし、希望なし。
昨日、コロナウイルスの影響で突然の休日を取得した。
今の会社に所属して2年半程度。
土日祝日以外はほぼ全て出勤してきた。
こんな急な休日取得は珍しい。
誰かに電話するわけでもなく、誰かと会うわけでもなく、会社から電話がかかってくるわけでもなかった。
1日終えて夜、感じた事がある。
無理矢理誰かと繋がらない楽さ、身軽さだ。
会社に所属する事は体に重りを付けているようなもの。
自分の意思でこの人間と話したい、自分の意思でこれがしたい。
と言った事ではなく、お金を稼ぐために会社に行く今の僕。
本当にそれだけ。
我慢できないわけでもなく、今のところ鬱になるわけでもない。
それでもこの身軽さは素晴らしい。
思えば学生時代も決まった友人の集団に入るのが嫌いだった。
基本は2人、多くて3、4人で行動していた。
決まった大勢でグループを作るのが学校でのよくある風景だが、僕にとってはそれが面倒だった。
知り合いも多く、どの集団にも入れるが、基本は少人数で連んでいた気がする。
数が多くなればなるほど個人の意志が通りにくく、無理矢理誰かに合わせなければならない。
もちろん僕も合わせるのが面倒だから。
これが誰とも一緒にいられない人だとわかるのだが、そういうわけでもないところがまた中途半端だと我ながら思う。
こういう性格であれば社会に出るとサラリーマンとして生きていくのはなかなか厳しい。
サラリーをもらうには集団に属すのが基本だからだ。
かと言って会社に属して社会人生活を送る事ができないわけでもない。
本当に中途半端な人間。
そう言えば以前に個人の能力について当ブログに掲載した事もあった。
そう言えばついでだが、仕事を辞めた時のインターバル中、海外旅行に行った事がある。
あの旅行は最高だった。
約2週間友人と2人で、各々リュック1つのノープラン旅行だった。
先に予定もなく、荷物も最低限。
プライベートでの海外旅行が初めてだったというのもあるかもしれない。
もちろん異世界感が楽しかったのはある。
それに加えて気の合う友人と行き、海外なので誰も知らない、いつ、どんな時でも仕事の心配もない、その身軽さが楽だった、楽しかったのもあるのではないだろうか。
そんなこんなで昨日書いたブログと内容が丸被りだが、身軽さの素晴らしさを感じる事ができた。
更には他の理由で気の合わない人間と時間を共有する事が僕にとって大きな精神的負担であるらしい。
誰にでもある事だと思うがそのウエイトが大きいということ。
常に誰かと繋がっていたい、誰かに、何かに必要とされたいという人もたくさんいるのが現実で、理屈でそこは理解できる。
僕がよく言う事だが、そこは理屈でわかっても感覚では理解できない。
どっちが生きやすいのだろうか・・・。
まあそんな感覚の話をしても永久に平行線だろう。
と、色々偉そうな事を書いたが、おそらく完全に1人になるとそれはそれで辛いだろうと思う。
僕なんて弱い人間だ。
こんな僕でも付き合ってくれている方々に感謝をするべきだとも痛感している。
結局感謝。