norinori53’s diary

日々感じる53(ゴミ)な事

過去のメッセージが現在に繋がる事はありますか?

35歳、夢なし、趣味なし、希望なし。

 

 

 

 

 

 

今日は完全に私事、いつも以上にしょうもない話。

 

思うと小さい頃からの癖なのかもしれない。

 

夜起きていると、ふとした時に部屋の片付けを始める習性があるらしい。

 

という訳で先日部屋の片付けを行った。

 

片付けには必ずと言っていい程断捨離が付属してくる。

 

不要な物を捨てるのは実に気持ちいい。

 

心や体まで楽になった気がする。

 

今回の片付けは小規模だったため、割と早めに終盤を迎えることになった。

 

ふとBOXを開けた時に目に入った物が。

 

数枚程で綴られた、紙冊子。

 

表紙には「Message」と書いてある。

 

覚えていない。

 

とりあえず中を確認。

 

小学生か中学生の頃、卒業時、最後の班だったクラスメイトに向けたメッセージを集めた物のようだ。

 

これを見て思う事がある。

 

なぜ。

 

なぜ偶然卒業時に同じ班だったクラスメイトに向けてメッセージを書くのだろうか。

 

正直班が同じで席が近かったというだけでお互い大した思い出も想いもない可能性は大きいだろう。

 

それを無理矢理振り絞ってメッセージを書くというのはかなり横暴な気がする。

 

横暴だとまでは当時思っていなかったが、

 

「書く事ないんだけど」

 

程度には思っていたと思う。

 

そもそも小中辺りまでは(高校も入るか)無作為に集められた人間の中で生活していく今の日本。

 

今の日本というか昔から代々そうだ。

 

無理矢理感が凄く、強制的な感じが少し気に掛かる。

 

とは言え、こういった人生を歩むことによって様々な人と付き合うという対応力やコミュニケーション能力が養われるのだろう。

 

他の能力が突出している人はそんなステータス兼ね備えていなくても生きていけるとは思う。

 

特にITが発達した今の世の中では誰ともコミュ力0でもとてつもなく流行るアプリを開発する能力があり、それが収入につながれば生きていけるだろう。

 

SNSが発達した今、昔のようにコミュ力がなくても世に宣伝する方法は山ほどあるはず。

 

それでも大半の人が凡人。

 

学校は多くの人が最低限、なんとか社会で生きていけるようにするための通過点でもあると僕は思うので、今のシステム完全否定はできないと感じる部分もある。

 

まあでもどこかこのよくわからない強制メッセージには結局少しの疑問が残るが。

 

中を見ても抽象的な内容で、書いた本人もおそらく覚えていないだろうといったメッセージだった。

 

もちろん読んでも僕にはピンとこなかった。

 

そんな中、最後のページを見た時だった。

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そう言えば中学時代、担任の先生とノートを通じてやりとりをしていた。

 

20年も前の話。

 

そりゃ忘れている。

 

その分驚きも大きかったのだろう。

 

学年が始まる時に最初にノートを渡される。

 

そのノートを通じて先生と交換日記のようなやりとりをしていくというシステムがあったのを思い出した。

 

もちろん好きな女の子との交換日記といったような甘酸っぱいものではない。

 

ただ、具体的にどんな内容の事を書いていたのかは覚えていないのでここに説明できない。

 

驚いたのは「これからも文章を書く事をやめないでね」の一文だった。

 

高校に入学し、全くもって勉強をしなくなったので、実質文章を書く事はやめているが,

約20年の時を経て今こうやってブログを書いている。

 

まさか約20年前の担任からのメッセージが今にリンクしてしまうとは・・・。

 

ここで少し悲しいのがこのゴミのようなブログであるという事。

 

ここで、

 

「小説出しました!」

 

とか、

 

自己啓発本出しました!」

 

等々だと、

 

このエピソードはもっとカッコイイものになったに違いない。

 

ところがどうだ。

 

なんだこのブログは。

 

現実を見るとただ情けない事になる。

 

まあ仕方ない。

 

これが今の僕なのだから受け止めざるをえないだろう。

 

現実を受け止める事も自分のゴミ加減を再確認する重要な事だと思った夜中だった。