ストレスの理由とコロナウイルスによる実態のない圧迫感
35歳、夢なし、趣味なし、希望なし。
僕はこのブログを書く事によって毎回自分の年齢を打つ。
先日1つ歳を重ね、四捨五入したら40歳といった、毎回自分の年齢を自覚してしまう。
そう、慣れるまで毎回ヘコむという事。
無事1年間生きることができた事はとてもありがたいのだが、やはりヘコんでしまう。
そして慣れた頃に36歳になり、更に毎回凹む事になるとは思うが・・・。
しかし慣れとは怖いものだ。
当ブログにも書いた事があるが、3年程前に1ヶ月程入院したことがある。
入院といっても普通の入院ではなかった。
外出できない、外の空気を吸えない入院だった。
しかもクリスマスから年末年始にかけた期間。
なんともタイミングの悪いこと。
普段運の良さだけで生きているせいか、ドカンと大きな不運が降りかかってくる。
日頃の行いの悪さのせいでもあるだろう。
最初その入院が決まった時は落胆した。
仕事は大丈夫か?
いつまで入院なのか?
外出できずにストレスはたまらないか?
様々なことが頭を過ぎった。
そんな中、入院。
最初は不慣れな入院、好きな物も食べられない、もちろんタバコも吸えない。
かなりの偏食な僕にとって病院食は厳しい食生活だった。
そう、最初は。
記憶が少し曖昧だが、割とすぐに慣れたような気がする。
まあそれもこれも洗濯物を持ってきてくれた友人や、お見舞いにきてくれた方々の支えがあってからだとは思うが。
今思っても非常にありがたい。
ありがたいでは足りないとは思う。
話は戻り、入院生活。
気楽な生活だった。
寝て目が覚めても仕事は待っていない。
何時に起きようが自由。
クレームをつけてくる客はいない。(当時接客業だったため)
ただただ一日ダラダラ過ごすだけ。
お見舞いに持って来てくれた漫画を読み漁る。
無駄にYou Tubeを見る。
スマホでどうでもいい事をやたら検索する。
実際は他にもためになる事を色々できたとは思うが・・・。
今思えばその頃ブログを書いていればよかったとも思う。
1日中フリーなのでいくらでも文章を書く時間がある。
まあその時はブログを書くという発想もなかったし仕方ない。
そして最初はイヤだった外出禁止生活も快適になった。
そう、完全に慣れた。
外に出られないのに、それを卓越したストレスフリーな精神状態が幸せだったという事。
当時の僕の状況は下記の通りとなる。
1.外出という選択権が僕にはなかった。
2.中途半端な仕事という負荷もなかった。
それが今はどうだ、下記の通り。
コロナの影響で外出自粛を強いられている。
1.外出しようと思えばできる。
2.土日を明けると中途半端に仕事というストレスの素もある。
1ヶ月入院して快適に感じたのに、なぜ今はストレスを感じるのかと思ったが、おそらく上記2点は決定的な違いだろう。
自分に選択権があるのとないのとではストレスの感じ方がかなり違ってくるのだろう。
「できないからやらない」のと「できるけどやらない」のは大きく違うようだ。
そして翌日や少し先の予定状態。
毎日寝て起きても仕事が待っていないというのはかなり幸せらしい。
正確に言うと「仕事=やりたくない事」になると思う。
仕事がやりたい事だったら今の精神状態は少しは健康かとも思う。
上記2つ以外に大きな要因がもう1つ。
コロナという見えないウイルスによる世の中の圧迫感。
テレビのニュースもネットニュースを開いてもコロナコロナコロナ。
いい加減イヤになる。
この目に見えないからこその圧迫感が世界の人々を苦しめているような気もする。
コロナにかからずとも心の病気になる人も多くいらっしゃるのではないかとも思う。
グダグダ書かせていただいたが、僕には日本国民を動かす力もないし、特効薬を作る力もない。
無駄に出歩かずに用心する事ぐらいだろう。
と同時に神経質にならないようにする事も大切なのではないかと思った。
このままでは心が壊れてしまう人が続出してしまう。