norinori53’s diary

日々感じる53(ゴミ)な事

GW終了と緊急事態宣言延長

35歳、夢なし、趣味なし、希望なし。

 

 

 

 

 

 

始まったばかりだったはずの2020年ゴールデンウィークが終わりを告げようとしている。

 

僕は5日+1日で計6日。

 

6日もあった。

 

時間にすると144時間。

 

長いはず。

 

十分に時間はあったはずなのに、やった事は酒を浴びてネットサーフィンして、You Tubeを見るの繰り返し。

 

この連休に入る前に予想していたことが的中した。

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 本当にダラダラダラダラ。

 

なんの生産性もない、なんの知識もつかない毎日だったが、実に幸せだった。

 

誰に何を言われる訳でもなく自由に過ごせた時間。

 

僕には仕事のやりがいや社会的地位などいらない。

 

そりゃそういったモノやコトがあればありがたいが・・・。

 

必要なのはある程度のお金とたっぷりの時間。

 

これが生きていく上でかなり重要だと再確認させられた2020年のゴールデンウィークだった。

 

このまま彼女もできず、結婚もせず悠々自適に生活していくであろう未来さえも見えた。

 

10年後に同じことが言える自信が100%あるかと言われたらそこまではないが、そんな先のこと想像できないし、今のところ誰にも迷惑をかけていない。

 

いいじゃないか、このダラダラした人生。

 

当ブログにも何度か投稿させていただいたが、自粛は僕にとってほぼノーダメージ。

 

それどころか無駄に人と会わなくてすむのでプラスに働くことさえある。

 

 

 

 

 

 

 

そんな30代中盤のオッさんの話はさておき。

 

先日緊急事態宣言の延長が確定した。

 

ここからは何もできない一般市民が偉そうな事を言うなと自分に言い聞かせながら書かせていただく。

 

 

まあここに書く事は多くの国民の方々が思っている事だろうが・・・。

 

緊急事態宣言。

 

国から自粛のお願い。

 

日本といった国は憲法上強制力が強すぎない「お願い」といったカタチでしか旗をふれない。

 

飲食店、イベント会社、各種サービス業。

 

人と人との接触する職業の方々は本当に困っていると思う。

 

自粛要請と補償は1セット。

 

これもジャーナリストの方々は発言している。

 

確かにそうだろう。

 

僕のような無知の人間は国の財政、どこまでいったらインフラが度を過ぎるのか皆目検討もつかない。

 

同感はするが、そんな検討もつかない僕は強く言えない気がする。

 

しかし、このコロナ地獄が始まって緊急事態宣言がどうのこうの言い出した頃から気になっていた事があった。

 

安倍晋三氏は具体的な数値を言葉にしない。

 

何か発表した後の決まり文句はこんな雰囲気だろう。

 

「専門家の意見を聞いて連絡いたします。」

 

小さな島国とは言え日本は広い。

 

日本全体で無理なら各都道府県知事に具体的な数値を算出してどうこうしようといった指示も見えない。

 

決定権は国が持って金は出さないが、知事に丸投げ。

 

メチャクチャだ。

 

 

今から走れ、ただしゴールは今からこっちで話し合いして丁度良いタイミングで出させてもらう。

 

そんなゴールの見えないマラソン大会誰がするよ。

 

日本人は真面目だ。

 

お願いベースで自粛しろと言われ、多くの人がそれを守っている。

 

それでもあまり長引くと我慢の限界がきて爆発しないだろうか。

 

一体どこまでいけば良いのか、目安が欲しいだろう。

 

おそらく日本国民が思っていたはず。

 

え?

 

これ感染者数0になるまでこの生活続くのでは!?

 

そんなワクチンがすぐに開発される訳ではないし、このままじゃ日本経済がぶっ壊れる。

 

不安ばかりが大きくなる緊急事態宣言の延長だったろう。

 

延長されるとはわかっていたものの、実際に宣言されると現実味が増すはずだ。

 

 

 

 

 

 

そこで今や日本のヒーローが政府に向けて攻撃を仕掛けた。

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いや、こんな舐めた感じではない。

 

そう。

 

大阪府知事の吉村氏。

 

正に正義の味方だ。

 

具体的な数値を掲げ、それを目標に頑張ろうと舵をきった。

 

この施策が失敗に終わって第2波が起きた時にはバッシングを浴びるかもしれない。

 

そのリスクをとって踏み切った。

 

大阪での自粛率が高いのもこのリーダーを信じようという想いからだろう。

 

数値を掲げてウイルスと共存し、そこを上手に戦っていく。

 

シンプルでわかりやすい。

 

僕が大学生の頃教授が言っていた言葉を思い出す。

 

定量的に物事を見よう」

 

理系ならではの人間の発言だろう。

 

理屈っぽい僕はその言葉に強く共感していたような覚えがある。

 

数字は嘘をつかない。

 

 

2020年のGW、どう過ごしますか?

35歳、夢なし、趣味なし、希望なし。

 

 

 

 

 

 

 

2020年。

 

今日から5月。

 

5月2日からはいわゆるゴールデンウィークとかいういう連休に突入する。

 

中には12連休という方も多くいらっしゃるだろう。

 

しかしこの世の中。

 

飲食店は軒並み早めに閉店し、外で飲む事もままならないだろう。

 

僕は本日5月1日から休日、ゴールデンウィークに入っている。

 

当ブログでも度々書いているが、とりあえず会社にいかなくてOKというだけで十分嬉しく、今は心がスッキリしている。

 

ここで昨年を振り返ってみた。

 

norinori53.hatenablog.com

 

昨年は令和に元号が変わるという事で、10連休という天国のような時間を過ごす事ができた。

 

旅行に行き、地元に帰省し、遊びまくった、本当に幸せな時間だった。

 

1年前、世界中の誰1人と1年後に今現在のようなコロナ地獄に陥っているとは思っていなかっただろう。

 

今年はもちろん帰省は控える。

 

ニュースで名古屋駅の状況を見ると今新幹線に乗っても全く3密にはならないようだ。

 

乗車率も例年の10%以下らしいではないか。

 

こんな事を言ってしまうのは少し不謹慎かもしれないが、これなら新幹線に乗っても大丈夫なのでは?

 

と思ってしまった。

 

しかし、今僕が思ったような考えの人間が多く出てしまうとせっかく少しづつ落ち始めた感染者数がまたぶり返す可能性も出てくる。

 

ここは冷静な判断を下し、予定通り帰省はなしとする。

 

まあ僕は自宅待機でも心の病気などにはなる可能性は0に等しいので大人しくしておくといった結論になる。

 

では僕は何をしよう。

 

もう決まっている。

 

酒。

 

これ一択。

 

1日、もしくは2日程度は自宅で友人とお酒を飲むかもしれないが、他はただただ1人でお酒を浴びるだろう。

 

どんな毎日かもイメージできてしまうのがまた悲しい。

 

35歳のオッさんがゴールデンウィークを1人で過ごすのを想像していただきたい。

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悲壮感がすごいだろう。

 

しかし、もうなんともならない。

 

また複雑な気持ちになるのが1人でダラダラ過ごせるのはそれはそれで幸せなのだが。

 

この年齢だからではなく、元々そういった性格でもあるのでこの部分は余計変わらないだろう。

 

客観的に見るとかなり冴えない休日だろう。

 

そしてかなりシンプルなルーチンになる。

 

【2020年GW予定予想】

1.夜お酒を飲む

2.朝起きて二日酔い。午前中はゴロゴロして潰れる 

3.自宅でまるで作業のようにクソみたいな昼食を済ませる

4.昼間はダラダラネットサーフィン、疲れたら昼寝

5.夕方、食糧が尽きてきたら買い出しに行く(状況によっては半額シールを狙うために出発をずらす)

 

おそらく1〜5の繰り返しだろう。

 

誰も知りたくない情報、不必要な情報をここに書いて申し訳なくもなる。

 

まあ日記だと思って書いているので温かい目で見ていただけるとありがたい。

 

やっぱり必要な情報をブログ等で発信できる人は人々のためになっていて凄いなと思う。

 

社会的価値のある人間と言うかなんと言うか。

 

と、同時にここでまた自分のしょうもなさに気付く。

 

皆さんは2020年のゴールデンウィーク、どのように過ごしますか?

 

 

 

引越しはとにかく断捨離

35歳、夢なし、趣味なし、希望なし。

 

 

 

 

 

 

先日、マンションに入ろうとするとオートロック式の1階入り口で何やらオジさん2人が立っていた。

 

部屋番号を押し、呼び出しボタンを押している。

 

もし自分の部屋だったらと思い、チラッと見てみた。

 

え。

 

僕の部屋ではないか。

 

とりあえず声をかけてみた。

 

「この部屋の者ですが」

 

するとややマンションの管理会社のジャンパーを着たオジさんから挨拶してきた。

 

「この度は当建物の建て直しの件についてお伺いに参りました」

 

え。

 

あまりに突然過ぎて少しビックリしたが、割とすぐに受け入れる事ができた。

 

どうやら僕が住んでいる建物は古く、耐震構造が過去の基準担っているらしい。

 

それからもう1人のオジさんから名刺を渡された。

 

どうやら弁護士のようだ。

 

それから3枚程の退去依頼らしき用紙を渡された。

 

「依頼退去となるので引越し費用の一部を負担させていただきます」といったような内容も記載されていた。

 

とりあえず了承し、また連絡するといった形でその場を終えた。

 

しかし。

 

正直今この環境で生活する事に十分満足している。

 

更には引越しに辺り手間もかかる。

 

ここで引越しにあたってのデメリット(手間も含む)を挙げてみる。

 

【デメリット】

・生活環境が変わる事への精神的疲労

・住所が変わるため、各住所変更等手続きによる時間の浪費

・間取りが変わる可能性があるため、家具やカーテンの新調による出費

・引越し会社への手配、引越しの準備等に費やす時間の出費、浪費

・新居を探すための時間の出費、浪費

 

とにかく時間の浪費と出費が激しい。

 

数字には見えない手間も多々発生する。

 

人によっては環境変化による精神的疲労がかなり大きい人だっているだろう。

 

または職場からの距離も変わり、都合が悪くなる人だっているはず。

 

更にはこのタイミング。

 

世の中コロナコロナでコロナ地獄の最中に出ていけというのはやや暴挙な気もする。

 

このお金、時間、精神の事を考慮すると、引越しすることによるかかる費用の「一部の負担」というのはどうも納得がいかない。

 

少し面倒になるが、この後弁護士と戦うことになるだろう。

 

まあ今から1ヶ月内に出ていけとかいった話ではない。

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あと半年程じっくり動いていこうと思う。

 

性格上ギリギリになって慌て出す可能性も大いにあるが・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

とは言え、引越しも悪いことばかりではない。

 

社会人になり、合計6回程引越しをしている。

 

その経験を踏まえてこれからメリットを挙げさせていただく。

 

【メリット】

・環境が変わることの気持ちのリフレッシュ、新たな発見

・新しい部屋作りという楽しみ

・断捨離できる

 

デメリット項目に「環境の変化」を入れたが、逆にこれはメリットにもなる。

 

人によってかなり差はあると思うが、新しい環境というのは悪くない。

 

新天地に身を移す事によって新しい発見もあるだろう。

 

住環境によって人間思考や気分が全然変わってくるとも思う。

 

人間何か理由がないと変わりにくいものだ。

 

引越しを理由に何か始めたりするのもありだし、自分を変えるチャンスだとも思う。

 

ワクワクを100倍にしたい。

 

そして同じような項目を2つ挙げさせていただいたが、「断捨離」を積極的に行うようになるのは非常にありがたい。

 

「じっくり動いていこうと思う」と先述したが、実はこの断捨離は既に始めている。

 

実は部屋に存在するモノは不要物だらけ。

 

使わないのに捨てる事もなく、なんとなく置いている、保管しているケースが多いはず。

 

引越し。

 

これは断捨離するにはこの上ない理由になる。

 

僕は毎回引越しする度に45Lのゴミ袋が複数枚パンパンになる。

 

荷物整理の時に面倒くさくなり、次から次へとゴミ袋へモノを放り込んでいる気がする。

 

いつも直前に荷物をまとめていたのが原因だとも思う。

 

そして毎回思う。

 

「自分の部屋にはこんなにゴミがあったのか・・・」

 

引越しするには所有物が多いのは本当に手間だ。

 

この年齢になってようやくその手間にハッキリと気付いた僕もなかなかのアホだとは思う。

 

という訳で、引越しを楽にするという理由でガンガン捨てる。

 

荷造りのゴミを捨てるという手間を先にやっておくとおそらくかなり楽になるはず。

 

最近は時間さえあれば何か捨てるモノはないかと、部屋中を血眼になって探すぐらいだ。

 

 

 

 

 

 

 

先述したように引越しを行うデメリットは多々ある。

 

しかし、狭く深くメリットもある。

 

引越しを行う際は最初に大量のエネルギーを消費するが、その後明るい未来が待っているかもしれない。

 

変わっていくことを楽しもう。

 

変化にビビっている僕が偉そうに言える言葉ではないが、あえて書かせていただく。

 

 

過去のメッセージが現在に繋がる事はありますか?

35歳、夢なし、趣味なし、希望なし。

 

 

 

 

 

 

今日は完全に私事、いつも以上にしょうもない話。

 

思うと小さい頃からの癖なのかもしれない。

 

夜起きていると、ふとした時に部屋の片付けを始める習性があるらしい。

 

という訳で先日部屋の片付けを行った。

 

片付けには必ずと言っていい程断捨離が付属してくる。

 

不要な物を捨てるのは実に気持ちいい。

 

心や体まで楽になった気がする。

 

今回の片付けは小規模だったため、割と早めに終盤を迎えることになった。

 

ふとBOXを開けた時に目に入った物が。

 

数枚程で綴られた、紙冊子。

 

表紙には「Message」と書いてある。

 

覚えていない。

 

とりあえず中を確認。

 

小学生か中学生の頃、卒業時、最後の班だったクラスメイトに向けたメッセージを集めた物のようだ。

 

これを見て思う事がある。

 

なぜ。

 

なぜ偶然卒業時に同じ班だったクラスメイトに向けてメッセージを書くのだろうか。

 

正直班が同じで席が近かったというだけでお互い大した思い出も想いもない可能性は大きいだろう。

 

それを無理矢理振り絞ってメッセージを書くというのはかなり横暴な気がする。

 

横暴だとまでは当時思っていなかったが、

 

「書く事ないんだけど」

 

程度には思っていたと思う。

 

そもそも小中辺りまでは(高校も入るか)無作為に集められた人間の中で生活していく今の日本。

 

今の日本というか昔から代々そうだ。

 

無理矢理感が凄く、強制的な感じが少し気に掛かる。

 

とは言え、こういった人生を歩むことによって様々な人と付き合うという対応力やコミュニケーション能力が養われるのだろう。

 

他の能力が突出している人はそんなステータス兼ね備えていなくても生きていけるとは思う。

 

特にITが発達した今の世の中では誰ともコミュ力0でもとてつもなく流行るアプリを開発する能力があり、それが収入につながれば生きていけるだろう。

 

SNSが発達した今、昔のようにコミュ力がなくても世に宣伝する方法は山ほどあるはず。

 

それでも大半の人が凡人。

 

学校は多くの人が最低限、なんとか社会で生きていけるようにするための通過点でもあると僕は思うので、今のシステム完全否定はできないと感じる部分もある。

 

まあでもどこかこのよくわからない強制メッセージには結局少しの疑問が残るが。

 

中を見ても抽象的な内容で、書いた本人もおそらく覚えていないだろうといったメッセージだった。

 

もちろん読んでも僕にはピンとこなかった。

 

そんな中、最後のページを見た時だった。

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そう言えば中学時代、担任の先生とノートを通じてやりとりをしていた。

 

20年も前の話。

 

そりゃ忘れている。

 

その分驚きも大きかったのだろう。

 

学年が始まる時に最初にノートを渡される。

 

そのノートを通じて先生と交換日記のようなやりとりをしていくというシステムがあったのを思い出した。

 

もちろん好きな女の子との交換日記といったような甘酸っぱいものではない。

 

ただ、具体的にどんな内容の事を書いていたのかは覚えていないのでここに説明できない。

 

驚いたのは「これからも文章を書く事をやめないでね」の一文だった。

 

高校に入学し、全くもって勉強をしなくなったので、実質文章を書く事はやめているが,

約20年の時を経て今こうやってブログを書いている。

 

まさか約20年前の担任からのメッセージが今にリンクしてしまうとは・・・。

 

ここで少し悲しいのがこのゴミのようなブログであるという事。

 

ここで、

 

「小説出しました!」

 

とか、

 

自己啓発本出しました!」

 

等々だと、

 

このエピソードはもっとカッコイイものになったに違いない。

 

ところがどうだ。

 

なんだこのブログは。

 

現実を見るとただ情けない事になる。

 

まあ仕方ない。

 

これが今の僕なのだから受け止めざるをえないだろう。

 

現実を受け止める事も自分のゴミ加減を再確認する重要な事だと思った夜中だった。

 

 

地上波放送「先生!、、、好きになってもいいですか?」を観賞 ※ネタバレあり

35歳、夢なし、趣味なし、希望なし。

 

 

 

 

 

 

 

2020年4月26日(日)、不要普及の自粛要請のため絶賛引きこもり中。

 

とか自粛要請が出ているのを引きこもり理由に挙げているが、実際通常の生活とそう変わらない。

 

まあそれでも2週間に1回ぐらいは外で美味しい物食べながらお酒飲みたい思ってしまう。

 

そんな引きこもり中の日曜日、番組表を見ていると目に留まった。

 

「先生!、、、好きになってもいいですか?」。

 

こ、これは広瀬すず主演の王道恋愛青春映画じゃないか!

 

しかも昼間。

 

14時スタート。

 

日曜日の昼間に放送なんて珍しいので完全にノーマークだった。

 

これを見つけたのは昼過ぎだったので期待に胸を膨らませて待っていた。

 

「期待に胸を膨らませて」とは語っているが過去に1度観賞済み。

 

ただ、ストーリーを忘れている部分もかなりあるので再度観る事に。

 

もちろんドキドキしたいという気持ちもあった。

 

確か前回観賞した時はドキドキできたような覚えがある。

 

そのため期待に胸を膨らませていた。

 

 

 

 

 

 

【可愛い】

またバカの1つ覚えみたいな話になるが、とにかく広瀬すずが可愛かった。

 

正に殺人級の可愛さ。

 

この映画が上映されたのは2017年のようなので、当時17〜18歳ぐらいだろう。

 

これは完全に僕の好みだが、ただでさえ圧倒的に可愛いのに、ショートカットがまた拍車をかける。

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この画像を見ていただけるとわかると思う。

 

表現力が乏しく、可愛い意外にズバッと決まる言葉が見当たらないのだが、ただただ可愛い。

 

この部屋で何度叫んだだろうか。

 

ロリコンとか変態ではないとは思うが、これで更に制服を来ているという完全に反則行為。

 

更には劇中で花嫁姿にもなる。

 

美しかった。

 

眩しいほどに美しかった。

 

元が良い場合に掛け算するとその上がり幅は底知れない。

 

例えば、

 

元0で100をかけても0。

 

しかし元100で100をかけると10000になるではないか。

 

美しい人に綺麗な衣装を着てもらうともはや手に付けられない程の美しさになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

【カッコイイ】 

更には共演の生田斗真がまたカッコイイ。

 

メガネをかけて、女っ気のない、少しヌケた性格、でも優しいという設定。

 

まあこれが生田斗真のようなイケメンが演じるからカッコよく映るのだろう。

 

おそらく僕が演じてもただの不愛想な先生になるのがオチだが、イケてるヤツは少し気怠い感じを出しているとカッコ良さが増すのだろう。

 

 

 

 

 

【照明】 

そして各シーンでの光の当て方。

 

素人の僕が偉そうに述べるのもおこがましいが、出演している女性が美しく映るように要所要所で様々なタイプの光を当てる。

 

女性を綺麗に写す監督さんといえば大根仁監督が真っ先に思い浮かぶ。

 

バクマン。」実写版の時も小松菜奈の透明感がフルに映し出されていた。

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特にこの登場シーンの美しさは目を見張るものがあった。

 

今日観た「先生!〜」もただでさえ可愛い広瀬すずが測りきれない程可愛く映されていた。

 

前述したように演じる人物が圧倒的に可愛いといった条件が前提となるところにある意味残酷さを感じてしまう部分もあるが・・・。

 

まあそんな捻くれた角度から見ても仕方ない。

 

とにかく可愛い。

 

可愛いは正義なのだからそこはしっかり受け止めさせていただこうではないか。 

norinori53.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

【ラストシーン】

ネタバレになるが最後のシーンはシビレタ。

 

生田斗真演じる先生が広瀬すず演じる響に聞く。

 

「何がしたい?」

 

答える。

 

「手を繋ぎたい」

 

うおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

 

俺もしてーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

 

いやあ、そういうやりとりしたいなあ。

 

デートとかもしたいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 【結論】

とにかく。

 

僕はこの作品を観て恋をしたくなってしまった。

 

いつ恋をするのかって?

 

もちろんそんな予定はない。

 

コロナウイルスに対して未来の話をしていただきたい

35歳、夢なし、趣味なし、希望なし。

 

 

 

 

 

 

 

政府や各自治体の代表者をはじめ、皆様様々な対策をとっていただいてる今の日本。

 

敵はコロナウイルス

 

国民はその対策に対して批評する。

 

人が行ったことに対して批評するのは簡単だ。

 

コロナに対する対策を立てる人達を選んだのは国民なのだから自分にも原因があると思ってもいいのではないだろうか。

 

予算を組み直したり、どのような対策を立てるのか考えたり心身共に大変だろう。

 

僕のような家庭も持っていない人間は自分1人を守るのも精一杯なのに、国民や各都道府県の人々を守るなんて相当の負荷がかかると思う。

 

こんな事を言ってはいけないかもしれないが、1人で良かった。

 

守るのは自分だけ。

 

心がとてつもなく軽く感じる。

 

今日も1日家でゴロゴロ。

 

誰にも移さない。

 

少子化が問題視されている今の日本でこんなコメントはどうかとも思うが、誰かを守る器なんて僕には到底ない。

 

以上の事を踏まえた上で少し書かせていただく。

 

 

 

 

 

 

 

様々な対策をとっていただいてる中で皆さん感じる事はないだろうか?

 

そう。

 

基本後手後手。

 

まあ僕も基本後手後手人間なのだが。

 

何か問題が起きてから動く。

 

問題が起きないととりあえず現状維持。

 

とりあえず楽な方に動く。

 

まあその結果が今のような胸を張れない人生なのだが。

 

しかし仕事中、誰かを巻き込むような時は別である。

 

迷惑をかけられないから。

 

引継ぎもガチガチにして休日に入る。

 

誰が見てもわかるようにメモを残す。

 

とか偉そうな事を言ってはみたが、休日に会社から電話がかかってくるのがイヤだったりするからもある。

 

更には僕の仕事レベルなんて相当低い。

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戦闘力にすると上に貼った村人ぐらいだろう。

 

また脱線しつつある。

 

話は戻るが後手後手について。

 

多くの施作は「結果こうなったからこうしましょう」がほとんどではないだろうか。

 

過去から現在。

 

それではピンとこない。

 

そして遅い。

 

できれば「この先こうなる事が予測されるからこうしましょう」と動いていただけないだろうか。

 

未来の話をしていただきたい。

 

ここまできてしまったらもう大がかりな対策をとらないと1番遅れている医療崩壊が起きてしまう。

 

昨日恐ろしい事が起きた。

www3.nhk.or.jp

もっともっと病床が足りなくなって、こういった事が乱発してしまうと取り返しがつかなくなってしまうのではないだろうか。

 

病床が足りなくなって自宅待機が増える→家庭内クラスターが発生→外出→外で感染させる

 

マズイ・・・。

 

そろそろ怖いのは家庭内クラスターが乱発する事ではないだろうか。

 

家が安心できない場所になるとどこで安心するのだろうか。

 

これだけ言っといて真逆の話をするのもおかしいが、ある程度の心持ちで、心が病気にならないように生きる事を忘れてはいけない。

 

1人1人がしっかり対策をして、感染品ような遊びをすることによってストレスを溜めないようにと思う。

 

 

 

 

 

 

・・・。

 

偉そうな事書いて少し申し訳ない気持ちになってきたのでこの辺りで終わらせていただく。

 

話もあっちこっちにとっ散らかってしまった。

 

ただ、やっぱり思う。

 

未来の話をしていただきたい。

 

 

休日取得で集団に属さない事の身軽さを感じる

35歳、夢なし、趣味なし、希望なし。

 

 

 

 

 

 

昨日、コロナウイルスの影響で突然の休日を取得した。

 

今の会社に所属して2年半程度。

 

土日祝日以外はほぼ全て出勤してきた。

 

こんな急な休日取得は珍しい。

 

 誰かに電話するわけでもなく、誰かと会うわけでもなく、会社から電話がかかってくるわけでもなかった。

 

1日終えて夜、感じた事がある。

 

無理矢理誰かと繋がらない楽さ、身軽さだ。

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会社に所属する事は体に重りを付けているようなもの。

 

自分の意思でこの人間と話したい、自分の意思でこれがしたい。

 

と言った事ではなく、お金を稼ぐために会社に行く今の僕。

 

本当にそれだけ。

 

我慢できないわけでもなく、今のところ鬱になるわけでもない。

 

それでもこの身軽さは素晴らしい。

 

思えば学生時代も決まった友人の集団に入るのが嫌いだった。

 

基本は2人、多くて3、4人で行動していた。

 

決まった大勢でグループを作るのが学校でのよくある風景だが、僕にとってはそれが面倒だった。

 

知り合いも多く、どの集団にも入れるが、基本は少人数で連んでいた気がする。

 

数が多くなればなるほど個人の意志が通りにくく、無理矢理誰かに合わせなければならない。

 

もちろん僕も合わせるのが面倒だから。

 

これが誰とも一緒にいられない人だとわかるのだが、そういうわけでもないところがまた中途半端だと我ながら思う。

 

こういう性格であれば社会に出るとサラリーマンとして生きていくのはなかなか厳しい。

 

サラリーをもらうには集団に属すのが基本だからだ。

 

かと言って会社に属して社会人生活を送る事ができないわけでもない。

 

本当に中途半端な人間。

norinori53.hatenablog.com

 そう言えば以前に個人の能力について当ブログに掲載した事もあった。

 

そう言えばついでだが、仕事を辞めた時のインターバル中、海外旅行に行った事がある。

 

あの旅行は最高だった。

 

約2週間友人と2人で、各々リュック1つのノープラン旅行だった。

 

先に予定もなく、荷物も最低限。

 

プライベートでの海外旅行が初めてだったというのもあるかもしれない。

 

もちろん異世界感が楽しかったのはある。

  

それに加えて気の合う友人と行き、海外なので誰も知らない、いつ、どんな時でも仕事の心配もない、その身軽さが楽だった、楽しかったのもあるのではないだろうか。

 

そんなこんなで昨日書いたブログと内容が丸被りだが、身軽さの素晴らしさを感じる事ができた。

 

更には他の理由で気の合わない人間と時間を共有する事が僕にとって大きな精神的負担であるらしい。

 

誰にでもある事だと思うがそのウエイトが大きいということ。

 

常に誰かと繋がっていたい、誰かに、何かに必要とされたいという人もたくさんいるのが現実で、理屈でそこは理解できる。

 

僕がよく言う事だが、そこは理屈でわかっても感覚では理解できない。

 

どっちが生きやすいのだろうか・・・。

 

まあそんな感覚の話をしても永久に平行線だろう。

 

 

 

 

 

 

 

と、色々偉そうな事を書いたが、おそらく完全に1人になるとそれはそれで辛いだろうと思う。

 

僕なんて弱い人間だ。

 

こんな僕でも付き合ってくれている方々に感謝をするべきだとも痛感している。

 

結局感謝。